目の前にあるということ

私たち人間は、この世に『生』まれ いつの日か『死』を迎えますよね。

それが いつ訪れるのかは わかりません。

けれども、訪れるのは確かなことで…。

この肉体がなくなったあと、『生』ある人の為にも、納骨されている場所があるというのは

すごく有り難いことだなぁと思うのです。

魂は生き続ける と言われていますので、いつ どんな時でも 側に感じることは出来たとしても、

大切だった方が眠る場所、見に見える形で、そこにある(いる)というのは、とても素敵なことだと私は思うのです。

今は、ご自身で選ぶことが出来る時代です。

いつか訪れるその日の前に、浄信寺の樹木葬墓地も候補の一つとして、見にいらしてみませんか?

実際に場所を見て、話を聞いて、感じてみて下さいね。

お待ちしております。